4月11日(木)からギャラリーにて水原桜春展「帝国少女偶像譚」がはじまりました。絵と都都逸調の詩で表現された壮大な物語の一端についてお話を伺いました。

-自己紹介と普段の活動を願いします。

水原桜春と申します。普段はアナログで黒一色のところに別の色を一色入れる絵を描いて、そこに詩をセットにして世界を表現する、という制作を行っています。主な活動場所は名古屋のコミティアやネット上、グループ展などで今回が初個展です。ライブペイントなども行って活動の幅を広げようとしています。

-アナログとデジタルを併用されてるそうですが、どのように使い分けてらっしゃるんですか?

アナログ画材の発色や手の癖が出たり、描きたいものがすぐ描けるところなどが好きなのですが、フルカラーは長時間での作業が病気もあって難しいので、時間の経過が影響しないデジタルを使用しています。4色以上の作品や依頼でデジタル指定のものはデジタルになります。いまのところアナログは8割くらいデジタルもちょっとずつ勉強している状態です。

-詩と絵をセットでつくられるようですが、作られる順番などはありますか?

ばらばらですね。最近は詩の方が先に出てくる事の方が多いです。コンセプトを思いついて描いているうちにだんだんストーリーが浮かんできたり、描いているうちに変わってきたりして、出来上がったものは全然違うということもよくあります。

-作品を思いつかれるのはどういう時ですか?

日常生活の中、仕事で全然違うことをしている時とか音楽を聴いている時なんかにふっと思い浮かんだものをメモしたりしています。運転中だったら車を路肩に停めてメモをとることもあります。

-今回の展示のコンセプトなどお願いします。

何と戦っているかわからないけれど戦争している架空の国家にいる戦場を支える女の子たちを描いた作品の展示で、反戦的な意味がすごく込められています。戦争やテロが今もどこかで起きている中で、私たちは普通に生活しています。そのギャップはとても大きい。そこで、戦争をなぜしていられるかというと、私たちが普通の生活をしているからです。
自分たちの日常生活は国家という虚構の中にしか存在していない。戦場を支えながらも、支えているという意識すらない。そんな女の子たちを描いています。最後に飾ってある絵の女の子1人だけが現実を生きています。彼女は唯一戦場に出ていく女の子です。フライヤーのデザインに載っている女の子ですね。

-今回の作品でどれかおひとつ説明などしていただけますか?

「七つの死を超えて」展示の中ではこの女の子だけ特別に幼いという設定です。
戦争をテーマにしたテレビ番組を見ていた時に、戦場におけるこどもの役割というのは祈りの象徴みたいなものなのかなと思って、そこから飛躍して、もしかしたら子どもが居なければそこまで戦場に行くという発想はなかったのではないかと気づいて。実は戦争に行く行かないというのは家族が中心にあるのではないかと考えるようになったんです。
子どもの存在があるというだけで戦場に行くのならば、戦場に行くことを子どもが望んだら、親は行くのだろうか?と考えて恐ろしくなりました。自分たちが守るべき存在が戦場に行ってくれと望むならば、何度死んでも、戦中の標語で「七生報国」というものがあるのですが、その報いる先を身近な、守るべきものにした場合、7度死んでも戦場に向かうのではないだろうか。これは自分の中で発想のターニングポイントになった作品です。実はこれについての長い小説のストーリーもあるんですけど、今回の展示とは合わないので持ってきていません。

-今後の目標やご予定はありますか?

今後も自分の表現したい絵を追求しながらライブペイントのイベントなんかにも出て、活動の幅を広げていきたいなと考えています。いろんなイベントにも出展もしようと思っています。